冬こそ、高野山が一番美しいときだと思った
2017年6月30日
「ハァハァ、暑い、暑いィィィ、、、汗が、、しょっぱいィィぃっ!」
と、このところ毎日小声でうなされている坊主です。でも、顔には出しません。どんなときも平常心、が売りですから。
よく、「長時間正座して、脚しびれないの?」と聞かれますが、お坊さんも人の子、当然しびれます。しびれまくりです。我慢しすぎて、遺族がすすり泣く前で立つとき転んだとか、強引に立とうとして足の小指折ったとか、逸話に事欠かない分野です(何時間も正座しても平気なスゴい方々もたくさんいますよ!)。
早く涼しくならないかなーと思っていたら、極寒の一月に高野山に行った時のことをブログに書いたのを思い出したので、納涼代わりにご紹介したいと思います。
ブログ引用
吹雪が収まった後、夜の奥之院へ。
奥之院とは、空海が今も瞑想しているという弘法大師御廟へ続く、約1.9kmの道。弘法大師を信仰するひとびとのために20万基を超える供養塔が建てられた、世界でも最大級の霊場。
入り口にある一の橋を渡るとすぐに、場が纏う空気が一変するのがわかる。
完全な静寂、どこまでも静謐。降り積もったばかりの真っ白な雪を踏みしめる、ギュッギュッという音だけが聞こえる。
一つまた一つと歩を進めるたびに、現世から離れていくように感じる。
ほとんど誰もおらず、まれに人がいても、みな無言。
あの世とこの世が入り組むこの道では、誰もが思わず、自分の来し方行く末を考える。
燈篭と、月明かりだけが頼り
立ち並ぶ供養塔の大半は庶民の墓。織田信長、明智光秀、豊臣秀吉といった名だたる戦国武将の墓や、パナソニック、ヤクルトといった名門企業の慰霊碑も並ぶが、この時ばかりは雪に埋もれて識別できない。
降り積もる雪は、名前も肩書も、すべてを包み込む。どの碑も平等に、美しく覆う。残酷なまでに優しい自然の力を感じる。
雪をかぶる石仏たち。いつにもまして荘厳
御廟橋を越えるとそこは聖地。おびただしい数の燈篭が吊るされる燈籠堂が姿を見せる。
夜空の漆黒と燈篭の艶やかなオレンジの対比に心を奪われ、息をのむ。
思わず背筋が伸びるような緊張感と共に、大いなるなにかに見守られているような安心感が得られる。
写真に納められないのが残念。是非一度、自分の目で確かめてもらいたい。
燈篭はじっと、すべてを見ている
桜舞わず、緑輝かず、紅葉燃ゆることもない、冬の高野山。見渡す限りのモノトーン。
今も弘法大師空海が修行を続けながら、衆生を見守る聖地。
ここは、どんな言葉よりも激しくぼくらの霊感を刺激する。
決して、わくわくと心躍る陽気さはないけれど、頬を刺す冷気が逆に心に染み入る。
生も死も無い空間で、不思議な落ち着きを得ることができる。
振り返ると、自分の足跡。夢でなく、たしかに歩いたのだとわかる
…なかなかのドヤッぷりです。
少し前に話題になった「過去のmixi日記を振り返ろう!」キャンペーン後の阿鼻叫喚っぷりほどではないですが、少々寒気がしてきました。
ご承知の通り、独りの旅先と、酔っぱらった週末はついついポエム調になりがちなので皆様におかれましてもどうぞご留意ください。
みなさまを納涼するつもりが、ひとりで納涼してしまいました。
でも、冬の高野山は本当におススメです!!
交通の便が悪くなったり、吹雪が億劫になることも多い冬ですが、雪に反射された光が周りを明るくしたり、清々しい空気に身が引き締まる感覚を得ることができます。是非、季節によって趣を変える美しさを愉しんでいただきたいと思います。もっともっと、旅が楽しくなるのではないでしょうか。いや、ほんと。
ほら、きれい
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ライター情報
MBAアントレ坊主
漫画、麻雀、ゲームを愛する一方、絶望的な写真のセンスの無さに苦悶中の、浄土宗某寺副住職。金融機関の本店、シンガポール拠点での勤務、パリ郊外の経営大学院でのMBA取得を経て、ENYSiの創業に参画。