くつろぐゆるむ中国温泉湯治湯治宿秘境

平家落人伝説のあるところに、極上の湯あり

2017年8月2日

たっぷりの成分が含まれた温泉で心身を癒し、頭をゼロリセットする…そんな湯治旅にぞっこんのシヅカですが、この頃、訪ねる温泉地で行くとこ行くとこ「平氏の家紋」に巡りあうように。なぜここに平氏の家紋があるのだろう?もしかして平家と温泉、何か不思議な縁があるのかもしれない…謎を探るべく、調べてみました。


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平氏の家紋とされる揚羽蝶

目次

  • ・そもそも「平家の落人」とは?
  • ・ニッポン各地に残る平家落人伝説
  • ・山海の恵みから温泉が育まれる
  • ・平安時代・鎌倉時代には既にあった温泉地
  • ・平家落人が身を隠した奥地にこそ極上温泉あり!
  •      

    

そもそも「平家の落人」とは?

「源平の合戦」「壇ノ浦の戦い」、教科書で学んだ方も多いのではないでしょうか。京都を中心とした平家一門と鎌倉を中心とした源氏一門が内乱を起こし戦った「源平の合戦」は、平安末期から鎌倉時代へと移行していく1180年~1185年の5年もの間行われた一連の合戦を指し、山口県壇ノ浦で平家一門は惨敗を迎えるのでした。

平氏一門及びその家門・味方となった一族は、壇ノ浦の戦いのみならず、日本各地での源氏との合戦で敗北し、平家の落人となっていきます。源氏の手から逃れるため、人里離れた場所へと身を隠し、散り散りになってゆきます。最終合戦だった壇ノ浦の戦いで、平将門はじめ平氏一門は滅亡したとされていますが、源頼朝による平氏の残党狩りや離反は実に1189年の奥州征討まで続いたとされています。戦に負けてもなお、何年も身をひたすら隠す必要のあった落人たちがいました。


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「壇ノ浦の戦い」の合戦跡

ニッポン各地に残る平家落人伝説

今もなお、「平家の落人伝説」が伝承されている地域があります。そこはたいてい、山の奥深くであったり、離島であったり、山間部、秘境等に点在しています。以下のリストは、平家落人伝説の残るエリアとされていますが、北は東北から南は沖縄まで広範囲に広がっていますね。


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引用:Wikipedia「平家の落人」より筆者にて図表化

山海の恵みから温泉が育まれる

一方、温泉について目を向けてみましょう。日本における温泉とは、温泉法によれば「地中から湧出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く。)で、25度以上の温度または指定される18の物質を一定量有するもの」と定義されています。平たく言えば、「地中から湧き出る水・水蒸気・ガスであり、かつミネラル成分を含むもの」。現代では、技術の発展に伴い、温泉掘削を行いポンプアップする温泉も多くありますが、平安~鎌倉時代には自然湧出の温泉しかなかったでしょう。海や山の恵みが育む温泉が日本の各地にあったのではないでしょうか。


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自然湧出する源泉

平安時代・鎌倉時代には既にあった温泉地

奈良時代に編纂された「古事記」「日本書記」の文献に初見される兵庫県有馬温泉・和歌山県白浜温泉・愛媛県道後温泉が日本三大古湯と呼ばれ、同じく奈良時代に編纂された「出雲国風土記」には島根県玉造温泉の記述があります。平安時代に編纂された「万葉集」には神奈川県湯河原温泉や長野県上山田温泉が登場します。また平安時代に藤原宗忠が1087年~1138年まで書いた日記「中右記」には「湯治」という言葉も出てきていますので、平家の落人が日本各地に散らばった頃には、日本に温泉は湧出し、湯治の文化があったろうと予測します。


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日本三大古湯のひとつである道後温泉

平家落人が身を隠した奥地にこそ極上温泉あり!

ここまでで推測すると、平家落人が身を隠した場所は、人里離れた不便きわまりない山奥であり、秘境であった。そしてそこには、自然湧出している温泉があり、戦い敗れた心身の傷を癒すために、寒さ・暑さをしのぐために、生活をするために、水や温泉のそばでひっそりと住むようになった。水湧くところに人は集うように、平家落人は湯が湧くところにひっそりと生きていたのではないか。そんな姿が目に浮かびます。文献記述が残っていないのであくまでも筆者の推測に過ぎず、謎の解明までいきませんでしたが、平家落人の伝説が残るエリアと温泉・湯治が密接に結びついていたのではないだろうか、と考えます。平家落人伝説が残るエリアで、温泉地・宿を見つけると、もしかしてこの温泉地を代々経営している方は平家落人の血を継ぐ者なのではないだろうかと想像してしまいそうです。

そんな今も平家落人伝説が残る極上温泉地をご紹介しましょう。

●湯西川温泉 「本家伴久」
栃木県日光市湯西川749

(アルカリ性単純温泉)

日光市観光協会公式サイトより
「壇ノ浦の合戦に敗れ逃れてきた平家落人が、河原に湧き出る温泉を見つけ傷を癒したと伝えられる歴史の古い温泉です。温泉地名の由来ともなった湯西川(一級河川利根川水系)の渓谷沿いに旅館や民家が立ち並びます。湯量豊かな温泉を楽しむのはもちろんのこと、川魚や山の幸、野鳥・鹿・熊・山椒魚の珍味など四季を感じる地元料理を心ゆくまで堪能できます。みそべら等を囲炉裏でじっくり焼いて頂く落人料理も有名です。また、1月下旬~3月中旬のかまくら祭の時期には河川敷に約1200ものかまくらが作られ、ろうそくの明かりが灯る週末の夜は特に幻想的な風景が広がります。」


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湯西川温泉

●奥鬼怒川温泉「加仁湯」
栃木県日光市川俣871

栃木県日光市「奥鬼怒温泉郷 加仁湯(かにゆ)」
(硫黄泉-ナトリウム・塩化物・炭酸水素塩温泉(硫化水素型)等5本の源泉がある)
湯西川温泉が日光駅から11時の方角にあるとすると、奥鬼怒温泉郷は10時の方角に位置する日光国立公園の中の秘境にある。日光駅までは電車で、そのあとはバスで移動するのだが、途中からは公共機関も自家用車も通行禁止となるほどの秘境だ。奥鬼怒温泉郷はたった4つの宿しかないのだが、それぞれ源泉が違うので奥鬼怒温泉郷と名付けられている。加仁湯・八丁の湯・日光沢温泉・手白澤温泉とそれぞれ個性が強烈な源泉と宿があるが、無料送迎バスも走らせてくれている加仁湯は、平氏家紋である揚羽蝶を掲げている宿なのだ。この奥鬼怒にも平家落人たちが隠れていたに違いない。


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加仁湯の温泉グッズに揚羽蝶の家紋がみえる

●「祖谷温泉(いやおんせん)」
徳島県三好市池田町松尾松本367-28

(アルカリ単純温泉・硫黄泉・含鉄泉等)

日本三大秘境である岐阜県白川郷、宮崎県椎葉村と並ぶもう一カ所がこちら徳島県祖谷です。剣山山系を南側にもち、市の90%近くが山地によって構成され、中央部を吉野川が横切っている町です。V字に切り立った絶景渓谷「大歩危(おおぼけ)」「小歩危(こぼけ)」も見どころですが、こうした険しい渓谷に囲まれた祖谷に、平家落人たちが隠れ住んだ伝説が残っています。源氏が攻めてきたときにいつでも切り倒せるように、とかずらで作られた「祖谷のかずら橋」があり、今も3年に一度作りかえられる国指定重要有形民俗文化財となっています。絶景渓谷を眺めながら入ることのできる祖谷温泉もあり、ここで平家落人たちが傷を癒していたのではないでしょうか。


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祖谷のかずら橋

平家落人伝説のある日本奥地に、極上の湯あり。あなたもぜひ、見つけてみてください。

ライター情報

湯治女子 シヅカ

湯治女子 シヅカ

広告代理店を経て、地域創生コンサル会社に勤務。大好きなビールよりも、一人旅と温泉と湯治場を愛する。アラフォーに片足を突っ込んだころに幸せを見つけた元癒し欠乏症患者。保有資格は、温泉入浴指導員、温泉ソムリエ、温泉観光実践士。

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髪を0.5ミリに切りそろえて朝4時から井戸水かぶったり、何時間も正座したり。
上京まもなく「東京たのしーーーッす」とアタマ花畑状態だった私には拷問同然でしたが、終わった後は顔つきが穏やかになったと評判でしたし(2か月くらい)、就活でエントリーシートのいいネタになりました。

なお、浄土系は修行がかなりライトなこともあり、坊主トークの際に
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実は、一般の方でも心身の鍛錬のために修行ができるところがあるのです。

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2017.06.29