混浴のダンディズム
2017年7月2日
混浴温泉はどうして湯治宿に多い?
混浴とは、男性・女性が同じ浴場で入浴することを指すが、混浴温泉・混浴風呂は、実は昔からある湯治宿に非常に多い。それは何故なのか、混浴と古い温泉文化に何か関わりがあるのか、そして今もある混浴に物怖じせずに楽しめるにはどうしたらいいかを調べてみた。
今も湯治ができる宿、青森県・酸ケ湯温泉
目次
- ・混浴文化の歴史をひもとく
- ・明治時代に発布された「混浴禁止令」
- ・今も残る混浴は、希少価値の高い風呂文化
- ・「ワニ」の存在が混浴を遠ざける
- ・女性目線での「混浴におけるダンディズム」
- ・女性側もマナー良く
- ・昔ながらの混浴風呂がある湯治宿5選
混浴文化の歴史をひもとく
天然湧出の野天湯
古くは、天然湧出の温泉が溜まってできた野天湯であった。その湯を分かちあうために、男湯・女湯という概念はなく、混浴は自然発生的なものであるとされている。浴衣の原型であるとされている湯帷子(ゆかたびら)は、平安時代中期に作られた辞書であった「倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」によると、「内衣布で、沐浴するための衣」とされている。
平安中期における湯帷子(浴衣)は、複数の人と入浴する機会があったため汗取りと裸を隠す目的で使用されたものと思われ、この時代には既に沐浴文化があり、こうした浴衣を下着代わりに着用していたことが分かる。岩井宏實氏著『日本の伝統を読み解く:暮らしの謎学』(青春出版社、2003年、P.141)によると、日本でも宝永年間以前までは、男は風呂褌、女は湯文字で入浴していたということである。
一方、江戸時代である嘉永6年(1853年)に伊豆半島下田に黒船が来航するが、『ペリー提督日本遠征記』(1856年)にある「下田の公衆浴場の図」によると、裸での入浴、かつ男女入り混じる銭湯の挿絵が描かれていることから、裸での入浴は江戸時代以降という説もあるが、混浴は続いていたことが想像できる。
明治時代に発布された「混浴禁止令」
江戸時代から湯治場として栄えた山形県・銀山温泉
欧米への体裁を気にした明治政府は、混浴禁止令を出すほどだった。都市部では取締が強化されたがなかなか改善されず、混浴禁止令はたびたび出された。しかし完全になくなったのは明治末期になってから。それでもなお、地方の温泉地などの多くでは混浴が当たり前という時代が昭和30年代まで続いたとされる。当時の温泉宿は治療や養生を伴う湯治宿が大多数を占めており、この頃、夫婦で湯を共にし、夫婦の一方が介護しながら湯の力で心身を癒してきたり、支え合ったりもしていたのであろう。
以降、旅行の形態も変化し、団体旅行が増えたり、浴場の近代化等が進んでいったりしていく。その過程において、混浴を取りやめ、男女別の浴室になっていく。昭和20年代頃から各都道府県別に設けられていった「公衆浴場条例」では男女混浴の年齢制限が設定されており、東京都の条例では「10歳以上の男女を混浴させないこと」と定められている。
つまり、お母さんと一緒に息子がお風呂に入っていいのは、東京都においては家族であっても9歳までであると定められているのである。神奈川県は同じように10歳以上の混浴は認めないが、「風紀上支障がない場合の男女の混浴を認めること(家族風呂としての利用はOK)」。埼玉県でも10歳以上の男女の混浴は認めないが家族風呂はOK、岩盤浴などは入浴着などを着ればOK等、都道府県別で扱いが若干異なっている。そのため、東京都では混浴施設が少ないが、神奈川県箱根に家族風呂があるのは、こうした条例によるものである。
今も残る混浴は、希少価値の高い風呂文化
新規の混浴施設建設に対しては、浴場・入浴施設の衛生検査権限を持っている保健所が衛生検査済証を発行しない等、新規で混浴施設を設けることが今は難しい。その一方で、「旅館業法」の混浴に対する定義がなく曖昧なおかげで「歴史ある混浴風呂を伝統文化として守る」という側面も無碍にしない日本文化もあり、今もなお混浴である宿・施設は、その文化を守り続けている、ということなのである。それゆえ、昔から湯治宿を営んできたところに、結果的に多く混浴風呂が残っていることとなる。
しかしながら、湯治宿の廃業・マナー違反から来る男女別浴室への改装等の諸原因により、湯治宿や混浴風呂は減少の一途を辿っている。混浴というのは、非常に希少価値の高い湯治文化・風呂文化と言えるだろう。湯治宿は九州や東北地区に今も多く存在し、未だに混浴が残っている温泉も多い。
なお、混浴は日本独特の文化だと思われがちだが、海外でも水着着用で温泉を分かち合う文化や、男女ともに裸で同室に入るサウナも存在している。
「ワニ」の存在が混浴を遠ざける
水面から目だけを出しじっと待つワニ
そんな希少価値の高い混浴風呂に、たびたび出現しているのが「ワニ」である。動物の鰐のことではなく、水面から目だけを出しじっと待つ様子が鰐にそっくりということから、「女性が入浴してくるのを湯船で待機してじろじろと眺めてくる男性のこと」をそう呼んでいる。
混浴風呂では、たいてい脱衣所が男女に分かれているが、この「ワニ」は女性の出入口付近にスタンバイしている。スタンバイしていなくても、じろじろ見られると女性からすると、男性にその気がなくとも、女性は幾つになっても気分が悪いものであり、とても混浴風呂を楽しめる雰囲気ではないし、浴室に身体を浸すことさえ嫌悪感が増してしまう。
また、インバウンド(訪日外国人旅行)の増加に伴い、昨今の混浴風呂では、バスタオルや湯浴み着を着用していい温泉が増えたものの、まだタオルを湯船につけてはいけないと禁止している温泉もある。濁り湯であれば身体を湯に浸しておけば、ボディラインは見えない温泉もあるが、透明の湯もあるし、女性の出入口を最大に考慮した温泉もあれば開放的な温泉もある。
女性目線での「混浴におけるダンディズム」
そんな混浴ではあるが、女性も気軽に、歴史の長い温泉に浸かってみたい。また、昔のように混浴文化自体を楽しめたなら。そう思わないだろうか。
そこには、殿方の「混浴におけるダンディズム」を発揮いただきたいと切に願っている。「混浴のダンディズム」とは何か。
筆者が思う「混浴のダンディズム」とはこうだ。
まず、殿方は女性の出入口を見ないこと、そしてボディラインをまじまじと見ないことである。目線は、流れていく湯や湯船のふち、窓の外の自然を眺めたりすることだ。女性が来たな、と思ったら、出入口から背を向けてくれる殿方は、背中がいきなりダンディを語るのだ。女性はその間に、身体をタオルで隠しながらそっと湯船に浸かることだろう。
女性は、湯に浸かって数分もすれば、心身がほぐれていく。静かな混浴風呂であれば、湯気が充満し、湯の滴る音が聞こえたら、静寂が気になり始める。大きめの混浴風呂ならば、他にもお客様がいて気が紛れたりするだろう。ほぐれたあたりでやっと、目を合わせ笑顔で「気持ちいいですよね」「どちらからお越しになったのですか」と会話を始めればいいのだ。湯船に浸かって見知らぬ男女が交わす会話こそ、混浴の醍醐味なのだ。この会話の際にも、男性も局部はきちんと隠し、目のやり場に困らないようにすることだ。
また、女性の胸元をちらちら見るのも避けてほしい。目線はすぐにわかるもの。そして、会話を楽しんだ後は、湯船から身体を出すことが恥ずかしい女性よりも、少し早く湯船をあがってあげることである。「ではまた。ゆっくり浸かっていってくださいね」と言い残して立ち去る男の背中は、その気遣いも功を奏して、またかっこよく見えるのである。
女性側もマナー良く
女性にも同じことが言える。女性も男性をじろじろ眺めたり、警戒し過ぎたりすることは厳禁だ。互いに、湯を楽しみ、湯を共有しているという気持ちで入浴したい。そして、女性も男性が気遣わなくて済むような配慮も必要で、タオルをうまく使ったり、背中を向けたりすることで、目のやり場をコントロールしたり、そっと湯船に浸かることや混浴風呂でのポジションも考慮してあげてほしい。
さあ、日本の貴重な混浴風呂をみなさんの手で守り、そして楽しもうではないか。
昔ながらの混浴風呂がある湯治宿5選
●青森県 酸ケ湯温泉「酸ケ湯温泉」
青森県青森市大字荒川字南荒川山国有林小字酸湯沢50番地
●秋田県 乳頭温泉郷「鶴の湯温泉」
秋田県仙北市田沢湖田沢字湯ノ岱-1
●栃木県 奥鬼怒川温泉「加仁湯」
栃木県日光市川俣871
●静岡県 河内温泉「金谷旅館」
静岡県下田市河内114-2
●熊本県黒川温泉「旅館山河」
熊本県阿蘇郡南小国町満願寺6961-1
ライター情報
湯治女子 シヅカ
広告代理店を経て、地域創生コンサル会社に勤務。大好きなビールよりも、一人旅と温泉と湯治場を愛する。アラフォーに片足を突っ込んだころに幸せを見つけた元癒し欠乏症患者。保有資格は、温泉入浴指導員、温泉ソムリエ、温泉観光実践士。